佐野慎輔の野球をあるく

佐野慎輔の野球をあるく

2020.11.04

日本野球の歴史を思う道

  故あって東京・神田の日本学士会館を訪れたおり、改めて敷地の一角にあるモニュメントの前に立ってみた。野球のボールを握った右手をモチーフとしたブロンズ像の台座には、「日本野球発祥の地」とある。

 そう、この地こそ1872(明治5)年にお雇い外国人教師、ホーレス・ウイルソンによって日本に初めて野球が伝えられたとされる場所にほかならない。
 野球、いやベースボールの誕生については小欄の始まりで書いた。1845年、アレキサンダー・カートライトがルールを整備してから27年、わずかな期間で日本に「輸入」されたことに驚く。米国生まれのウイルソンは遠い東洋で暮らすにつけ、親しんでいたベースボールがやりたくてたまらなかった。そこで英語を教えている第一大学区第一番中学(後の旧制第一高等学校、現・東京大学)の学生を集めて、持参した用具を使い、ベースボールの“講義”と指導を始めたのだった。
 この「教え子」たちによってベースボールが日本中に広く流布されていく。投手がボールを投げて、打者がこれを打つ。団体スポーツながら「一騎打ち」に似た構造が、武道精神をDNAに持つ日本人の琴線をとらえた。サッカーやラグビーなど同時期に輸入された近代スポーツのなかで、とりわけベースボールが日本人に親しまれるようになった要因だと考える。みなさんはどう思われるだろう。
 1894年、一高出身の中馬庚(ちゅうまん・かのえ)がベースボールを「野球」と訳し、普及していく。また一高の前身、大学予備門に学び東大に進んだ正岡子規が1896年、日本初の野球評論集「松羅玉腋」を執筆している。ピッチャーを「投手」、キャッチャーを「捕手」と呼ぶなど今に残る野球用語を創り出したのは子規にほかならない。一高が野球の中心として君臨、東京大学が「日本の野球ルーツ校」と称される所以ともなった。
 ブロンズ像のボールには、世界地図が描かれており、米国と日本とが縫い目で結ばれている。なんとも洒落たデザインが野球伝承の絆の太さを象徴している。
 ひとしきり眺めた後、ふと思い立って、目の前の白山通りを北に向かって歩いた。小学館、集英社、岩波書店と続くビルを左に神保町の交差点を直進。左右に日本大学の校舎、東京歯科大学病院を眺め、JR中央線、総武線の高架をくぐる。水道橋の交差点を渡れば左はもう東京ドームシティーである。
 読売巨人軍の本拠地。新型コロナウイルス感染拡大の影響下にあるいま、ようやく5000人を上限とした有人試合も行われているが、何とも寂しい状況が続く。旧後楽園球場時代から幾度となく通い、常に歓声とともにあった日々を思う。一日も速く旧に復してほしいと願うのは、私一人ではあるまい。
 後楽園球場は1937(昭和12)年、現在の日本野球機構(NPB)の前身、日本職業野球連盟創設の翌年に開場した。日本初のプロ野球クラブ「日本運動協会」の創始者であり、早稲田大学野球部出身の河野安通志、押川清らが中心となって呼びかけ、読売新聞社社長の正力松太郎や阪急電鉄社長の小林一三らが出資、株式会社後楽園スタヂアムとして誕生した。長く親しまれた後楽園から日本初の屋根付き球場・東京ドームに移行したのは1988(昭和63)年3月である。
 東京ドームはいまもなお、プロ野球の中心に位置する。ドーム内には野球体育博物館が設けられ、野球殿堂に足を運ぶ人も少なくない。ウイルソンをはじめ中馬や子規、押川や河野、そして小林も殿堂入りし、その功績が顕彰されている。いうまでもなく正力はその第1号。大門町(現・射水市)出身の正力は旧制高岡中学(現・高岡高校)から旧制第四高等学校(現・金沢大学)、東京帝国大学と柔道部で活躍したのだが、より人口に膾炙しているのは野球との関わり。柔道関係者には申し訳ないが、野球人気の裏付けであろう。
 日本の国民的スポーツとよんでもいい野球の「発祥の地」と「殿堂」が一本の道、指呼の間で結ばれている。野球ファンを自認されているあなた、コロナ禍の状況ではあるが、ぜひとも機会を見つけて歩いていただければと思う。歴史を感じる道である。

2020.08.04

「事に備える」

収まりつつあった新型コロナウイルスの感染拡大が、東京をはじめ首都圏でぶり返している。小池百合子氏が再選された東京都知事選投票日の7月5日を前後して、東京では6日連続して、感染者が100人を超えた。政府も都もそれを否定したが、「第2波」の来襲を思った方も少なくあるまい。

 時を同じく、集中豪雨が九州地方を襲い熊本県球磨川流域などに甚大な被害をもたらした。近年では7月から台風の影響も加わる秋ごろにかけ、集中豪雨が日本列島に大きな災害を連れてきている。今年はコロナ禍の収束をみないまま、豪雨、台風の季節を迎えた。「複合災害」を意識し、備えを強固にしていく必要がある。改めてそう思う。

 おりしも、日本野球機構(NPB)は7月10日から観客をスタンドにいれた有人試合を開催。5000人、または収容人数の半数以内のいずれか少ない方でとの但し書きがつき、感染防止策を講じた上で観客席を開放する。選手やチームスタッフ、審判員などにPCR検査を実施することはいうまでもない。備えを整えることは当然の措置だ。

 有人試合に先鞭をつけたのは富山サンダーバーズにほかならない。失礼ながら、日ごろは来ない数の報道陣が石川ミリオンスターズとの開幕戦が行われた富山県営球場に集まった。関心の向こう側にはNPBやJリーグの有人試合がある。いいではないか、大きな組織よりも先に、BCリーグの1チームが世間の注目を集めたことに意義がある。永森茂球団社長の英断だと評価したい。

 もちろん、開催に際しては万全な対策が講じられた。人の命にまで影響を与えかねない感染症の怖さを考えれば、備えに「これでよし」ということはない。今後も油断せずに備えを固めてもらいたい

 このコロナ騒動から、われわれが学ぶことがあるとすれば、新しい生活様式、すなわち社会的な距離の取り方とリモートによる会議や打合せとともに、「事に備える」という意識の再確認ではないだろうか。

 「備え」の重要さを、口を酸っぱくして説いたのが、故野村克也さんだった。

 野村さんは専属評論家だったサンケイスポーツに連載した『ノムラの考え』で、こう書いている。「野球の8割が備えで決まる」

 「備え」というと「守備」―守りを固めることに思いはいきがちだが、野村という人はそれほど単純ではない。打撃、バッターボックスに立つときの「備え」を説く。以下はサンスポの編集委員が亡くなった後、『よみがえるノムラの金言』として構成した6月12日付の紙面である。曰く…

    主に、打者が甘い球を打ち損じたとき。「直球を狙う…」では不十分。「高めの球だけ」「バットを立てて」「コンパクトに振る」などと、心構えを重ねておくべし

 こんな状況になったら、次はどうする。いかに「二の矢」「三の矢」を放つか。「二段構え」「三段構え」で備えておけという教えである。この二段、三段構えは展開によって変わっていく作戦面にもあてはまれば、もちろん守備につく心構えも示す。常に「備えを固めて」おくことの重要さを教えてくれる。名打者、名捕手、名監督の極意である。

日本には「備えあれば憂いなし」とのことわざがある。憂いなしとまで言い切れないだろうが、世の中の「8割は備えで決まる」のではないか。普段の生活、仕事、そして災害…「備え」はすべてに重要だ。改めて「事に備える」意義を、今この時期だからこそ、野村さんの教えとともに噛みしめたい。

2020.07.10

「勝ちに不思議の勝ちあり」

 野球に限らず、スポーツのチームとは監督の姿勢が大きく反映されるものである。勝負の世界だから、多くの場合は保持する戦力の差に勝敗が左右され、名監督が必ずしも常勝監督となるとは限らない。勝ったり負けたり、たとえ成績は振るわない時があっても、優れた監督というものはチームや選手たちに大きな足跡を残してくれるものだと思う。

 念頭に、野村克也さんの姿がある。
 今年2月、残念ながら84歳の人生に幕を閉じられたが、その言動、人柄は野球という枠を超えて親しまれていた。先日も、ベースボールマガジン社の池田哲雄社長と話すうち期せず野村さんの話題になり、時間を忘れて不思議な魅力を語りあった。
 長く野球記者を続けていると、いっぱしに野球の話ができるようになる。その多くは身近に接した監督の受け売りで、私の場合は担当記者を務めた広岡達朗、森祇晶両氏の影響が大きい。野村さんは担当として接したことはなかったが、時折、謦咳に触れると触発されることが多かった。とりわけ晩年のノムさんには教えを乞うことが多く、広岡、森に野村を振りかけて野球を語っている。
 そのノムさんの名言、至言は多々あり、「野村語録」「ノムラの考え」「野村ノート」としてまとめられている。私がしばしば引用させてもらうのは、『勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし』である。
 知られている通り、これは野村さん自身の言葉ではない。読書家のノムさんが歴史書から探しあてた江戸時代の大名で剣術の達人でもあった松浦清、号して静山が残した言葉である。肥前平戸藩主の松浦静山は若くして隠居、278巻におよぶ随想集『甲子夜話』を書き残した。剣術書も執筆し、「勝ちに不思議の勝ち……」は『常静止剣談』にある。
  予曰く。勝ちに不思議の勝ちあり。負けに不思議の負けなし。
  問、如何なれば不思議の勝ちと云う。
  曰く、遵道守術ときは其心必不勇と雖も得勝。是心を顧みるときは則不思議とす。故に曰ふ。
  又問、如何なれば不思議の負けなしと云ふ。
  曰、背道違術、然るときは其負無疑、
故に云爾客乃伏す。
 以上は、吉田豊編『武道秘伝書』の孫引きである。「勝ちに不思議の勝ちあり」とは、法則に従い技術の通りに戦えば気力が充実していなくとも勝つことができる。このとき不思議と思わずにはいられないだろう。「負けに不思議の負けなし」とは、法則を無視し技術を誤って使えば負けることは間違いない。簡単に言えばそう話している。
 要は、ふだんから運や気力に左右されない技術を身につけるよう努め、想定外の失敗をしても運や気力のせいにせず、原因を追究しておくべきだという教えである。ノムさんは南海ホークスの兼任監督を解任された1977年から13年の時を経て、1990年からヤクルトスワローズ監督として指揮をとることになった際、この言葉を座右に置き、自らの戒めとした。そして、選手たちに「努力すること」「野球を考えること」を染み込ませていったのである。
 2020年の富山サンダーバーズ、田畑一也監督の手腕に大いに期待している。地元・高岡出身だからというだけではない。野村学校の卒業生として、田畑監督には野村野球が流れているからである。

2020.06.18

「6月19日に思う」

  6月19日は何の日? そう問われれば、すぐに答えが返ってくるだろう。そう、2020年プロ野球の日本野球機構(NPB)公式戦が開幕する日だ。

 3月20日に予定されていた開幕は、新型コロナウイルス感染拡大によって3カ月延びた。試合数は144から120試合に縮小、セ・パ交流戦もオールスター戦も行わず、クライマックスシリーズはセが中止、パは短縮される。唯一、日本シリーズで日本一は決めるが、さまざまな記録達成はさて、どうなっていくだろうか。しかも当面は無観客試合。球音は戻ってきても歓声はまだ先、盛り上がりにはほど遠い。
 ルートインBCリーグは20日開幕する。わが富山GRNサンダーバーズは石川ミリオンスターズと富山県営球場で対戦。1000人限定で社会的な距離を保ちながらだが、観戦を可能にした。もちろん観客には検温、マスク着用をお願いし、大声での応援や鳴り物は禁じられた。それでもいい。野球をみる楽しみを忘れない挑戦にほかならない。
 6月19日は、私たちの楽しみ、野球の試合が世界で初めて行われた日である。
 野球の起源に諸説あるなかで、英国の球技ラウンダーズをもとに米国で発生したタウンボールが発展していった形とする説が有力視されている。タウンボールとは投げたボールを打ち、4つの塁を使って遊ぶゲーム。塁間やファウルラインなど決まりはなかった。
 その名の通り都市部で親しまれていたタウンボールを、4つの塁の塁間距離やファウルライン、9人という選手数、スリーアウトによる攻守交代などかたちを整えてベースボールに仕立てたのがアレクサンダー・カートライト。ニューヨークの銀行家である。
 カートライトは1845年に最初の野球チーム、ニッカボッカーズを結成。翌46年6月19日、ニューヨーク・ナインを相手に初の試合を行った。ところはニュージャージー州ホーボーケンのエリジアン・フィールド。ニューヨークの中心部から車でおよそ30分の距離にある。
 20年ほど前、1度だけ、この地を訪ねたことがあった。野球発祥の地と認めさせる運動を続ける人たちに話を聞き、街なかを案内してもらった。エリジアン・フィールド跡地の公園からはハドソン川越しにニューヨークのスカイラインがよくみえた。
 カートライトの時代から175年、野球はアメリカと日本では「ナショナル・パスタイム」と称されるほど発展した。ファンという名の野球愛好者たちが育んだ歴史の積み重ねだといっていい。
 コロナ禍は野球とファンの間に大きな壁をつくった。なあに負けるもんか。野球と野球ファンとの間には長い歴史の絆がある。スタジアムに球音が戻れば、やがて歓声も返ってくる。その日まで、もう少しの辛抱だ。コロナ禍からの再出発が初めて野球の試合が行われた日にあたったことに因縁を思う。

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2020.11.04

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2020.08.04

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2020.08.04

今回はインスリン抵抗性についてを深掘りします!

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2020.08.04

今回は「事に備える」がテーマです。コロナウイルス感染拡大の影響で、より一層の「事に備える」が大事な今、ノムさんの言葉が思い出される…。

佐野慎輔「野球をあるく」
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